2015年10月24日土曜日

過去と向き合う

フリーランスの写真家にとって、新規のクライアントは珍しくない。
新規で無くても、担当者が変わったり何て事はよくある話だ。
当然その人達にとって私が何者であるかは知る由のない事なのである。
そんな時にどうしても過去の自分の経歴を話す事になるわけだが、中には向き合いたくない自分自身の歴史もあるわけで、これがなかなかどうして一筋縄でいかない場合もあるのだ。

私の場合は幾つかの折り返し点があり、それを順序立てて話す事になるのだが、初めから話すととても長〜い話になるので、若い頃は都合の良い部分だけ話す事が多かったですが、最近は雑誌などのメディアよりもメーカーとの取引が多く、どうしても目上の方々には伝えずらい部分もあり、自らが避けてきたスポーツの話をせねばならず、結果的に自分自身の過去と向き合いながら話を進める事になる。

実は私の新しい本名である「冨樂和也」で検索をかけても大したネタは出てこない。そうなるとクライアント側からすると何処の馬の骨という事になり、不安な要素となるらしい。現代のネット社会からするとごもっともな話だ。なので元の本名である「権藤和也」という名前を自己申告する必要が出てくるわけで、必然的に再婚した折に妻の姓を名乗る事になったと話すわけです。幸いな事に、新しい姓はとても縁起が良いとなり納得をしてもらえるので、その部分に関しては良いのだが、大抵の場合は改姓でデメリットとなる過去の実績が消えてしまう話になる。では何故スポーツフォトを辞めたのか?答えは単純である。スポーツ以外の写真も撮りたくなったから。元々コマーシャルフォトグラファーの伏見行介の会社である「MASH」の出身なので、私としては原点に返ってコマーシャル系の写真に戻したかっただけなのだが、まあもったいないって話になるわけです。

スポーツフォトからコマーシャルフォトへ転向した事がマイナスになるかというと、大抵はスポーツフォト時代の写真をとても好意的に捉えてもらえる。となると、私自身としては過去の遺物と思っていたものが途端に財産となるわけだ。当然そうなれば私の過去への蟠りなどただの馬鹿げた想いとなり、もしかするとチャンスへの扉になるのかもしれないと思えるようになってくるから不思議なものだ。

先日私がスポーツフォト時代から所属している団体の写真展があった。私も珍しく参加させていただいたのだが、そこに飾られている写真たちを見て少しだけ感じるものがあった。一つの事に拘っている人たちがいて、それは昔から変わらない世界がある。ならば私は過去と向き合おう。そして現在と融合して新しい世界を創ろうではないか。それが私がこれから成すべき道なのかもしれない。

ラグジュアリー+コマーシャル+ファッション+フード+ライフスタイル+スポーツ
=シックスセンス・フォトグラフ=Kazuya Furaku